【ラジオ】俺たちの青春! ヘヴィメタルのカリスマ伝道師・伊藤政則が語る、俺たちがメタル魂を育んだ神番組の長い歴史の証言<前編>

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1 : 2025/04/13(日) 06:22:58.40 ID:MvgCfvWX9

4/12(土) 19:00 Dig-it[ディグ・イット]
https://article.yahoo.co.jp/detail/4729e982b3a87c354faa4084bbaeb2173a21c489

“メダルゴッド”こと伊藤政則が、土曜深夜約4時間にわたってHR/HMを流し、熱いトークを展開するロック専門番組が『POWER ROCK TODAY』(bayfm78)だ。オレたちのメタル魂を育んだこの神番組の長い歴史の証言をとくとご堪能あれ! (※中略)

■古い真空管ラジオから始まったラジオデイズ

「そりゃ、僕のガキの頃はさ、音楽の情報を収集するには雑誌、そしてラジオしかなかったからさ(笑)」

そう言って伊藤政則、いやセーソクさんはお馴染みの声で笑った。ハードロック/ヘヴィメタルを、いや音楽を聴いてきた昭和50年男のなかに、セーソクさんを知らぬ人間はいない。いつでも最先端の現場に出て、そこで得たコアな情報をラジオ、テレビ、そして文章に至るまで彼特有の”セーソク節”でオレたちに余すことなく語り尽くしてくれる。まさに音楽の伝道師である。

そんなセーソクさんのラジオデイズは岩手から始まった。

「少年時代のメディアといったらテレビ、ラジオなわけだよね。テレビは遠い存在なんだけど、ラジオは比較的近いところにあったんだ。地元の岩手放送(IBC)というラジオ局では、地元の大学生がDJをやったりしていたし」

■中学生にもなると、深夜放送にも触手を伸ばす。

「トークだけじゃなく、音楽も聴けることが大きかったね。リクエストはがきを出して読まれるようになったりすると、もうのめり込んじゃってさ。そのうち、もっといろんな番組を聴きたくなったんだけど、トランジスタラジオだと限界があるじゃない。そうしたらお祖母ちゃんが”これならどうだ”って、昔の真空管ラジオをくれたわけ。これがものすごく遠くの電波を拾うんだよ」

必死にチャンネルをいじくり回すうち、毎日放送(現・MBS)の『ヤングタウン』がうっすら聴こえてきた。

「桂三枝(現・桂文枝)さんと斎藤努さんの日に、キザなことを書くと時計とかステッカーがもらえる”めちゃキザ”コーナーってのがあったんだよね。でも読まれるかわからないから、とりあえず”岩手県立花巻北高校3年C組・伊藤政則”と書いて出したんだ。そしたらある日呼び出しがきてさ。MBSからステッカーが届いたんだ。”学校名でラジオに投稿するな!”って先生に怒られてさぁ(笑)」

他にも高校時代は深夜放送の雄・ニッポン放送の『オールナイトニッポン』を愛聴した。

「糸居五郎さん、亀渕昭信さん、斉藤安弘さん、今仁哲夫さんといったアナウンサーの方々が中心だった頃で…他の方の番組も聴いていましたが、なんというか、いちばん肌に合ったんですよね」

ラジオに熱中する高校時代を経て、セーソクさんは大学進学のために上京する。

「新宿の歌舞伎町にレインボーというロック喫茶があって、深夜12時くらいから始発が動くまで、リクエストをもらってレコードをかけるDJのアルバイトを始めたんですよ」

もうこの頃は音楽が生活の中心だった。東京ではロック喫茶で、帰省中は岩手放送のレコード室でアルバイトをして資金を貯め、当時のロックの震源地・ロンドンへ2ヶ月ほど渡って、本場の音楽に触れていた。そんな時、セーソクさんはレインボーで運命の誘いを受ける。

「『オールナイトニッポンのアシスタントディレクターのアルバイトがあるらしいぞ』って言う人がいて、紹介してもらって“ビバルーム”へ行くことになったんだよ」(※中略)

■プロデューサーのひと言でADがDJに大抜擢

ビバルームは『オールナイトニッポン』の制作チーム。ちょうど1974年から二部制がとられ、番組も増えた時期だった。

「当時はプロデューサーと局のディレクターはいるんだけど、現場はほとんどフリーの人たちでしたね。制作スタッフ3人、デスクの女性1人と、あとはもう僕みたいな“パシリ”的な若手が2人、合わせて6人くらいでまわしていたんじゃないかな。土曜日を笑福亭鶴光さんが担当して、平日は吉田拓郎さんやイルカさん、かぐや姫の山田パンダさんに武田鉄矢さんとか、フォークシンガーの方が多かった時期ですね。あとは当時二部を担当していた糸居五郎さんのADにも付きました」

糸居五郎は戦中に満洲でアナウンサーを始めたベテランDJで、日本のラジオでビートルズを最初にかけた人物。パーソナリティのトーク中心となっていた『オールナイトニッポン』のなかで、ただひとり音楽を中心としたDJスタイルを守り続けたことで知られている。

2 : 2025/04/13(日) 06:23:47.36 ID:MvgCfvWX9
>>1

「といっても、ADのアシスタントみたいな立場だったけどね。糸居さんはアメリカンDJスタイルで、しゃべりは最低限にしてひたすら音楽をかけるんですよ。局にあるレコードだけじゃなく、ご自分で大量に持ち込まれたものをずらっと床に並べて、2台のプレイヤーにご自分でかけていく。こちらはコマーシャルの指示を出すくらいでしたね。その頃の糸居さんはディスコミュージックをよくかけていらっしゃいました。アメリカのディスコ協会の会合へ行って、レポートを入れたりしていたことを覚えています」

こうしてADとして働いていたセーソクさんに注目する人物が現れる。

「ニッポン放送のスタッフが僕を見て『あいつは誰だ?』とよく言っていたらしいんですよ。局内にいる人たちはスーツを着て働いているのに、長髪でベルボトム履いた人間が歩いているんだから、そりゃそうだよね(笑)」

声をかけてみると音楽の知識もあるし、話がおもしろい。スタッフ間の「変わっていておもしろいヤツ」というウワサは、当時、『オールナイトニッポン』のチーフディレクターを務める岡崎正通(※2)の耳にも届いた。既知の間柄であった岡崎はセーソクさんに話しかけた。

「岡崎さんから『お前、おもしろいらしいじゃないか。ちょっとデモを作ってみないか』と言われて、10分くらいのデモテープを作ることになっちゃった。ビバルームの人たちに相談したら『どうせならメチャクチャなことやってやれよ』って言うからさ、とにかくメチャクチャなことをやったんですよ(笑)」

それを聴いた岡崎は「おもしろい」とうなずいた。そして、とんでもない提案をした。

「どうだ、2部でDJとして番組をやってみろ」

ADとしてビバルームに入って半年ほどのことだった。(※中略)

■カッコマンから音楽評論家・伊藤政則へ

「伊藤なんて名前を誰も知らないから、覆面DJということでいくことにした。宇崎竜童さんが”カッコマン”という名前をつけてくれて…それが僕のデビューですね」

75年7月3日から『カッコマンのオールナイトニッポン』が始まった。10月には木曜から水曜の2部へ移って、計半年間放送されたことになる。

「ただ、もともと”こまわりくん”って呼ばれていたから、『こまわりくんあらためカッコマンのオールナイトニッポン』とか番組名もめちゃくちゃ。ビバルームの人たちも、普段遊べない分、僕の番組で遊ぼうとするんですよ」

いくら”おもしろいヤツ”とはいえ、いきなり2時間の放送を乗り切るのはハードルが高い。だが、セーソクさんはそれをあっさり乗り切ってしまう。

「『オールナイトニッポン』ってみんな好き勝手にしゃべっていたんですよ。武田鉄矢さんとかエ口ネタばかりだったし(笑)。そういうのを見て、とにかく自由にしゃべろうと決めた。いろいろ考えましたね。CM前のジングルの時に笑える下ネタをひとつ言うとかね。自分が放送作家になったような気持ちで番組をしていました」

ただ、なかなか選曲に関しては自由がきかなかった。

「『ロックもやらせてよ!』って訴えたら、ちょうどドゥービー・ブラザーズの来日公演があった時で、メンバーが全員スタジオに来ちゃった。もうスタジオが狭くて狭くて(笑)」

DJの一方で、AD業務も続けていた。夕方からビバルームに詰めていると、レコード会社の人たちが宣伝に訪れる。

「『え? キミがカッコマンなの? ロック好きなら今度出すレコード聴いてみてよ。エアロスミスっていうんだけどさ』なんて」

こうして業界にも知り合いが増えていく。

「『ロックに詳しいならライナーノーツも書いてみないか?』なんて誘われたり…。そこから文章も書くようになって、二刀流になって今に至る感じかな」

こうしてカッコマンは音楽評論家・伊藤政則となっていった。70年代末に再びイギリスに渡ったセーソクさんは、アイアン・メイデンやデフ・レパードといった”ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル”(NWOBHM)のムーヴメントをいち早く日本に伝えた。その後アメリカに行っては、メタリカをはじめとする西海岸の新しいメタルの流れを紹介…などなど、数々の業績はもはや語るまでもないだろう。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

3 : 2025/04/13(日) 06:24:08.37 ID:oj6wbZmh0
俺の股間はヘビーメタル
4 : 2025/04/13(日) 06:27:15.43 ID:5JyWUx130
こんなに長々貼ることはないわ
5 : 2025/04/13(日) 06:27:49.73 ID:wvZNuPlY0
伊藤政則、大貫憲章この2人は長いな
15 : 2025/04/13(日) 06:36:32.51 ID:TOKvYsIH0
>>5
俺が中学生の40年前に既に御大然としていた
30 : 2025/04/13(日) 06:58:23.48 ID:P1+dkBz30
>>5
2人でエ口本捨てに行った話好きw
6 : 2025/04/13(日) 06:28:30.68 ID:TrY2gfe20
加齢臭くさい
7 : 2025/04/13(日) 06:28:50.50 ID:3pTkG4cl0
メガデスです
8 : 2025/04/13(日) 06:29:20.17 ID:NrmHomud0
酒井「もう出ないよ」
12 : 2025/04/13(日) 06:33:43.95 ID:GxQlHQHC0
ターボツアーのとき
シャバシャバだったワイはロブが金髪のねえちゃんたちズラっと並べてマルボロ咥えて中指立てながら飛行機降りてくると思ってたさ
そしたらおホモだち引き連れてニヤケ面して来日しやがって
俺の心ズタズタにされて一気に醒めたわ
何がメタルゴッド笑だよ
何がペインキラ~笑笑だよ笑わせんな
13 : 2025/04/13(日) 06:34:09.69 ID:QVAe6ywu0
ずっとメガネがダサい人
14 : 2025/04/13(日) 06:35:39.32 ID:TzEoKSmu0
ガスの兄貴、いまどうしてるのかなー
16 : 2025/04/13(日) 06:43:14.45 ID:EqaPOcXo0
何十年も外見が変わらない人
17 : 2025/04/13(日) 06:44:47.30 ID:P09lVC4k0
花巻北出身日食なつこ
18 : 2025/04/13(日) 06:46:11.51 ID:za5tkVC00
秋葉原で見かけたことある
20 : 2025/04/13(日) 06:47:08.30 ID:IlKWAbEi0
見た目が変わらんよなあ
21 : 2025/04/13(日) 06:49:55.29 ID:FTXFQK2x0
僕は歩兵でいい
22 : 2025/04/13(日) 06:50:47.57 ID:g0Y/eHdN0
よんよん
23 : 2025/04/13(日) 06:51:14.29 ID:ICXNvGbY0
ロックがおじさんの音楽ならメタルはもうお爺ちゃんの音楽やからね
25 : 2025/04/13(日) 06:52:25.96 ID:Eh60uCQp0
PRTは深夜だから聴いてないけどFMFUJIのロッカダムは20時からだから聞いてる
26 : 2025/04/13(日) 06:53:47.82 ID:P8l7BV+o0
今、何歳くらい?
28 : 2025/04/13(日) 06:54:51.67 ID:HHjReEq30
30年前も同じエピソード聞いたことあるぞ
何故いまさら
29 : 2025/04/13(日) 06:55:25.51 ID:sKiPYGMf0
もしかして、そろそろヤバいの?
31 : 2025/04/13(日) 06:59:43.07 ID:AhNrBCJ00
伊藤政則元気だな
渋谷陽一は死にかけだってのに
ツェッペリンよりアイアンメイデンの方が健康に良いってことだな
33 : 2025/04/13(日) 07:00:04.77 ID:nInDlmlj0
3大マサ
マサ伊藤
マサ斎藤
山田マサ
34 : 2025/04/13(日) 07:00:39.09 ID:vMp9H/Sq0
なんだかんだいって伊藤セーソクがいなかったらランディローズは日本では無名ギタリストだった可能性ある
36 : 2025/04/13(日) 07:01:11.73 ID:IlKWAbEi0
大貫が着てたセディショナリーズって今バカ高いじゃね
37 : 2025/04/13(日) 07:02:24.15 ID:vMp9H/Sq0
ランディローズ在籍時代のオジーオズボーンバンドを当時取材して日本に広めた功績は認めなきゃいけない

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